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「成功者」と「失敗者」、どちらに学ぶべきか?
 何かの希望、欲望を叶えようとするとき、多くの人は「成功者」にその「近道」や「コツ」、「方法」を学ぼうとします。

 そして、その要求に応えようと、世の中には多くの「こうすればできる!」タイプの「成功者」の本が出版されています。
 
 「東大生のノート」にしろ、「現役合格生の体験談」にしろ、そこには参考にすべき要素がたくさんあることは、否定することができません。

 しかし、そういうものを参考にしようとしても、たとえば本を買った人が、それを読んで、まねしようとしてみても、なかなかできない。成功しない。

 「成功者」の本の帯には、「この方法をまねたら成功した!」などのような宣伝文句が書かれるのは、「私にもできるかもしれない」という希望を抱かせるのに効果的ですが、本当に同じように成功できる人は、たとえば本を購入した人の何%を占めるのか、出版社はそんな調査はしません。
 
 本の場合、「売った」後の責任は、出版社にも、著者にも、あまり問われないのが普通でしょう。

 「成功者」の本の中には、まじめに「読むだけで・・・・」と著者自身が宣言しているものもありますが、たとえ効果がなくても、著者や出版社に目くじら立てて苦情を述べる人は少ないでしょう。
 (参考書を出している出版社に、「これをしっかり身に付けてもテストでいい点をとれなかった」と苦情を訴える人はいるのでしょうか?)

 いい意味でなのか、そうでないのかは判然としませんが、「自己責任の原則」は、一般社会に広く浸透した考え方です。

 結局、「成功すること」ではなく、「自分も成功できるような気分になること」を、読者は求めているのかもしれません。
 それは、実際に成功者になるためには、成功者が書いた本を読むことではなく、そこに書かれた成功者にたどりつくまでの様々な苦労や努力を経なければならないこと、それを行ったからといって必ずしも成功者になれるとは限らないことがわかっているからでしょう。

 しかし、もし本当に「成功者」になることを願うのであれば、何を知っていく必要があるのでしょう。

 「学習失敗学」とは、「学習成功者」となるために、知っておく必要のある「失敗」がある、・・・その「失敗」のパターンを理解することで、成功者になるために必要なこともわかっていく、そういう知識や思考のプロセスを重視するものです。

 多くの人にとって、自分自身の「失敗」は目を向けたくない「忘れたいもの」なのかもしれません。
 
 低い点数だったテスト用紙などは、すぐにゴミ箱に捨ててしまいたい。
 そして、実際に、捨ててしまうか、しまいこんで二度と目にふれないようになってしまう。

 このような「大失敗」が、日常的に学校ではおこっています。

 「成功者」本の著者のように、自分の成功へのプロセス、そこで重視すべき原則を紹介するのもよいのですが、たとえば学校の教師は、そういうプロセスを伝えればそれでよい、という存在ではなく、子どもも、「読めばよい」という存在ではありません。

 実際に小さな意味でも成功者にさせなければならないし、成功者にならなければならない。

 子どもたち、大人たち、教師たちの「学習」に、どんな問題がひそんでおり、「学力向上」をはばんでいるものは何か、それを解明していければと考えています。
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テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
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