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「なぜ勉強しなければならないのか」という問いがなぜ発せられるか
 「なぜ勉強しなければいけないの?
という問いには,「今はしたくない」という気分の表明から,本当の哲学的な問いまで,様々なレベルが考えられますから,まず相手のレベルを考えなければいけないのですが,学校では,

 「勉強」=「」と感じないコツ,
 「勉強」=「」だからこそ感じられる満足,
 「勉強」=「」になる本質的な理由

などを考えさせることができます。
 様々なレベルの「なぜ勉強?」のうち,

 「どうせ,テストでやったらそれで終わりでは?」という問いへの回答として,「習得ー活用ー探究」サイクルの説明を新しい法令や中教審答申,学習指導要領では用意しています。

 まだ文科省の「全国学力調査」を受験していない子どもたちも,その機会に「学習とは何のためにあるのか」がわかるような体験ができます。

 シールやポイントをためるために勉強する?
 先生に気に入られるために勉強する?
 お小遣いを値上げしてもらうために勉強する?
 志望校に合格するために勉強する?
 友達よりも上位になるために勉強する?


 こういうのを「外発的動機付け」といいます。

 「なぜ勉強しなければいけないの?」という問いを発するのは,「本当の勉強」への入り口にさしかかっている証拠ですので,「勉強=必要」論でも「勉強=必然」論でもなく,「勉強=自然」論に到達するまで,とりあえず勉強を続けてもらうのが一番でしょう。
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テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
知の筋力強化ー6 バイアスを除去する方法
 歴史書を読むときの見方・考え方として,あらかじめ「どのような偏りがあるか」を知っておくことは,少なくとも単純な誤解を防ぐための一つの方法かもしれません。

 歴史書に限らず,何か「書かれたもの」というのは,特定の「偏り」がどこかにある,という前提をもって読む「筋力」が,おかしなことを「信じ込む」という結果を招かないための重要な要素となります。

 「知の筋力」として重要なのは,「書き手」の「偏り」の他に,自分自身,つまり「読み手」の「偏り」も自覚しておくということです。

 ただ,自分の目を一切の「意図」から自由にして,「元の姿」を見つけ出す作業というのは容易なことではありません。

 「叙述のスタイルと歴史教育」(三元社)のなかで,溝口雄三は,「素手で歴史に入る」ための方法について次のように述べています。

 まず第一に,資料の中に入るときに,特定の意図をもたない,特定のイデオロギーや外来あるいは既成の観念,枠組みに従わない。

 第ニに,対象を限定したり,特定のテーマを決めたりしない
 
 第三に文献は出来る限り広い範囲に広げ,読む際には拾い読みをせず,隅から隅まで読み,かつ二回以上読む

 第四に文献は時代順に読む

・・・そんなことができるのは時間が有り余っている一部の研究者に限られるだろう・・・という「読み方」もできますが,ここでは「前向きな読み」を心がけると,「事実を探さない」「取捨選択しない」という「普通とは逆」なアプローチの仕方が,本当の「元の姿」に到達する大切な手法であるのかもしれない・・・そういう意識をもつことの意義が伝わってきます。

 運慶が仏像を彫る時,材木を彫って仏像を造形するのではなく,材木の中にもともとあった仏像を掘り出したと言われるような話が,歴史家による「真の歴史像」の発見にも本当に適用されるかどうかはわかりません。

 そして,「元の姿」を発掘しようとする「意図」すらなくせるような境地になることが「本当の知の筋力」なのでしょうが,それを体得するまでは,かなりの年月が必要であるような気はします。
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知の筋力強化ー5 歴史を学ぶ意義
 歴史を学んでいると,現代とは異なる価値観,道徳や倫理観,行動原理にふれることができます。

 筋肉の柔軟さを身に付けるにも,欠かせない情報刺激となります。

 現代を生きている我々にとって,「おかしな行動をとる人たち」と上手に共生していくコツは,どこから学んでいったらいいのか。

 ストレスフルな状態から,いかに抜け出せるか。

 それは,知の筋肉に無害な負荷をかけることが手っ取り早い方法です。

 無害な負荷とは,直接被害が及ぶような「」の話題ではなく,「過去」の「たいへんさ」のことです。

 昔は,親やおじいさん・おばあさんの世代がみんな貧しく苦労していたので,「昔の話」などとして家庭内で「無害な負荷」が自然に加わる仕組みがありました。

 今では,おじいさん・おばあさんが高度経済成長期を経験しているので,「今はどうなっているんだ」「仕事は見つかったのか」という有害な負荷をかけてくる心配まで生じています。

 無害な負荷は,知の筋肉に耐性を生じ,「おかしな行動」に対して冷静に対処する(あるいは対処しないことを冷静に決める)ことができるようにするのです。
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