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指導力不足の教師への対処法
 生徒の立場で、指導力不足の教師にあたってしまった場合、最も困るのは、学習ができない環境になってしまうことです。

 私語・立ち歩き・時間を守らない・居眠りなど、集中できない時間になってしまうのは、取り返しのつかないロスであり、完全にマイナス・サムの世界になってしまいます。

 その対処法は、一つには、割り切って「休み時間扱い」にすること。

 「休み時間扱い」だからといって、遊ぶわけではなく、自分で学習するのです。

 普通、「休み時間」は休憩時間であり、気を休めたり、体を休めたり、緊張を解いてエネルギーを充電する時間と考えられますが、指導力不足の教師のもとでは、授業中がそういう時間になりますので、「休み時間」の使い方が逆転するわけです。

 休み時間扱いの時間の学習は、ある意味で最も学習らしい学習ができる時間となります。

 ただ、このような環境のもとでは、あたかもゼロサムベースの世界自分は得をして、他の人は損をしている・・・他の人が遊んでいるすきに、自分が先へ進む・・そういう「抜け駆け」的な態度への嫌悪感をもつ人も多いと思います。

 学校という教育の場は、基本的にプラスサム・ベースの世界でなければいけないのです。

 一部の人の力がついたり、得をしたり、というのではなく、みんながみんな、力をつけ、互いの成長を喜びあう、そういうWin-Winの関係が基本になければなりません。

 では、どうするか。

 よく失敗する指導力不足の解消法は、教師の「やり方を変えさせる」というものです。

 教師が指導力不足に陥る最大の原因は、環境の変化に対応できない、自分のやり方や信念に固執する、などという、その人本人の資質によるものです。
 
 完全な「排除」が目的ならそれ相応の方法もあるのでしょうが、やはりことは「教育的」に行う必要があるでしょう。

 患部を開いて塩を塗り込もうとするのではなく、患部を花で飾るというのが最善の対処法です。

 環境の変化に対応できないという「病状」は、逆に言えば、それ以上、悪化のしようがない、他に転移しない病巣があるのであって、それを切除するのではなく、「変わらない」ことの価値を認め、それを安定させていることに喜びを覚えるようにすればよいのです。

 どんなことがあっても、対処法を変えない、そういう信念に固執した行動様式にこそ、こちらが邪魔をされることのない、安定した学習が展開するチャンスを生み出してくれると考えます。

 そして、多くの人が自分たちの損失に気付きはじめたころ、教科の学習ではめずらしいであろう「自治活動」の場が生まれるチャンスをうかがうのです。
 
 「ルールをつくろう」という話にもっていけると、教育的効果もより大きくなり、学習の主体性も生まれ、他者の存在に配慮した、具体的かつ本質的な意味のある学習が展開できるようになることが期待できます。  

 学習者の立場で、一番やってはいけないのが、指導力不足の教師を「教師」だと考えてしまうことです。相手を教師だと考えてしまうと、教師が「責任を果たさないのがおかしい」という結論になり、自分の「学習する立場」の責任を見失いがちになるからです。

 「学習」という態度から最も遠い距離になる教師を「学習者」と想定することで、自分がしっかりしないといけないということに気付くはずです。
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テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
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