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教師に左右されない学習者としての在り方
 教科の学習が不得意になる、苦手になる、嫌いになる、興味がわかなくなる、などの「学習の失敗」という問題がありますが、これを、教師の側を中心に述べているのが「教育失敗学」です。

 この問題を、学習者の側から捉えて、その解決方法回避方法を考えるとどうなるでしょうか。

 学習者の側から考える前に、簡単に教師の側の問題を整理しておくと、教師の中には、その教科の指導が不得意な人がいます。
 小学校はわかりやすいのですが、実は中学校でも、社会の教師で地理は苦手だとか、理科の教師で化学の実験の指導が不得意だとか、そういう問題があります。

 それから、教師の中には、もともと教えること自体が不得意な人がいます。
 黒板の字が読みにくいとか、声が小さいとか、授業規律を維持できないとか、教科についての専門性以前に資質・能力に課題がある教師がいるのです。

 こういう教師に教えられている学習者の側が陥りやすい最大の失敗は、「先生が悪い」ということを自分の「学習がうまくいかない」根拠にして、「学習に取り組まない」=「理解が十分でなくなる」ことです。

 漢字や計算、英語のつづりのように、反復練習だけで何とか身に付くものもありますが、文章をしっかり読んで問われていることの意味を理解し、それに正対した答えを自分の言葉で表現するには、内容についての理解が不可欠です。

 ですから、学習者は教師がその学習の成立を支える中心ではなく、学習とはあくまでも自分自身が主体であり、教師はたまたまその学習の進行に立ち会っているだけで、どんな説明をしようが、質問をしようが、それを理解して、答える責任は自分自身にある、そういう自覚をもつことが重要になるのです。

 わかりやすく教えてくれない教師、話がおもしろくない、つまらなそうに授業をする教師にあたってしまった場合は、「自分は不運である」と嘆くところまではかまいませんが、だからといって学習ができないままでよいという理由はありません。

 そういう教師に出会ってしまった場合は、逆に「自分は自分の手で幸福をつかむチャンスがある」と考えてしまうという方法もあります。

 というのは、教師のおかげでその教科が得意になるというよりも、自分の努力によって実力がついたと実感できることになるので、自己肯定感、自己有用感、達成感を得られるからです。
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テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
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