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要領のいいノートと悪いノート
 学習の要領のいい生徒と、そうでない生徒の違いは、ノートの作り方を見るとよくわかります。
 一般的な傾向ではありますが、要領のいい生徒のノートには、「遊び」があります。
 この「遊び」とは、たとえば後で書き込みができるような「余白」であったり、「図やイラスト」などであったりと、さまざまです。
 これに対して、努力をしているのはわかるのですが、なかなか理解の向上に結びつかない、そんな「要領の悪い生徒」のノートは、びっしり書くことで「安心感」「達成感」を覚えているのではないかと思わせるようなものが多い。(私も苦手な科目に限ってそんなノートになっていました)
 このノートは、受け取った教師は全体が書かれている状態を初めて見る訳なので、重要語句が色などで示されていない限り、どこがポイントなのか、一番言いたいことは何なのか、そういうことが今一つわかりません。
 アドバイスを書こうとしても、その隙間がない。
 生徒も、重要なことを書き加えようとしても、そこにはもう書けない。
 「たくさん書く」ことで満足するのではなく、数学の公式などのように、いかにシンプルにするか、初めて見た人にも「わかりやすい」という印象を与えられるか、そんなことに関心をもってもらえるといいかなと思います。
 別の言い方をすると、「捨て情報」、「カットできる情報」をいかに選択できるか、そこに「理解度」がかかわってくるわけです。
 たくさんカットすると、後で大事なこともカットしてしまったことに気付くかもしれませんが、余白があれば、あとでそこに書けばよいのです。
 失敗を恐れず「捨てて」ほしいのですが、後で内容がわかっている人にチェックしてもらうことを忘れないようにしたいですね。
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テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
「流れ図」の落とし穴とノートのコツ
 たとえば歴史の学習をするときに、「流れ図」のような形でまとめると、わかりやすくなる、という「成功者」のアドバイスがあります。

 「流れ図」を示して理解を助けようとしている歴史の本も出版されています。

 このような「図」によるまとめには、一見して「わかりやすそう!」と思わせる魔術がありますが、「見た目」にだまされてはいけません。

 よくある失敗だと思いますが、ノートにとても丁寧なまとめをしている子どもの中に、いざテストで前後のつながりとか因果関係とかを問われると、わからない、答えられない、という子どもがいるでしょう。

 簡単な話で、ノートの図はただ単に「きれいにまとまっている」だけで、それを理解するところまで達していない、ということです。

 また、「流れ図」は主に因果関係をもとにまとめられるものですが、そこにはある視点からの「背景」「原因」「経過」「結果」「影響」はきちんとおさえられていたとしても、別の視点とか、そもそもそのように推移することになった「条件」とか、本来の「目的」などは、落ちてしまっている場合があります。

 「わかりやすそう!」と思うときは「十分な理解に達しない落とし穴」があるかもしれない、と自覚して、そこから「何がわかるか」をしっかり吟味しなければなりません。

 「何がわかるか」「何が言えているのか」がわかったら、必ず次に「何はわからないのか」「何が言えていないのか」がわからないといけません。

 ですからノートに「流れ図」を書くときには、見開き2ページの中段に書いて、上下に十分なスペースをあけておき、自分でも付け加えられる要素を上に、授業などで教師が付け加えた内容を下に、など、図に厚みをもたせられるようにしておくことが有効です。
テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
「成功者」に学ぶときの留意事項
 「成功者」からのアドバイスを、普通、人は「有益」なものだと考えます。
 しかし、結果としてそれが「有害」なものになってしまうケースをよく目にしました。

 基本的に、学校での授業自体が、教師という「成功者」から直接指導を受けているものです。
 それにもかかわらず、「授業がわからない」という子どもはいるし、その「わからない」と感じる意識が、ますます「わからなく」してしまう。

 授業が「わからない」という子どもの多くは、「何がわからない」のかも「わからない」。
 「どこからわからない」のかも「わからない」。

 授業を受けた後の理想的な状態を、「何がわからない」のかが「わかる」ことにおく教科もあるかもしれませんが、その話はおいておくとして、「わからない・わからない」症候群になっている子ども(あるいは保護者)は、「わかる」ようになる特効薬を求めたがります。

 そこでの出番が、「勉強」「受験」を「成功」へと導く専門業者、ということになります。

 業者の方々のノウハウもここではふれずに、「成功者」に学ぼうとするとき、留意すべき点は一つ。

 「楽」にできそうな方法、「近道」に見えそうな方法を真似しても、簡単には「成功」しないこと。
 それが「楽」になり「近道」になるまでの苦しくて遠い道のりがなければ、基本的には「成功」しないことです。

 「成功者」が味わってきた苦労への想像力をはたらかせ、失敗に共感できる力を身に付けることが大切です。
テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
「成功者」と「失敗者」、どちらに学ぶべきか?
 何かの希望、欲望を叶えようとするとき、多くの人は「成功者」にその「近道」や「コツ」、「方法」を学ぼうとします。

 そして、その要求に応えようと、世の中には多くの「こうすればできる!」タイプの「成功者」の本が出版されています。
 
 「東大生のノート」にしろ、「現役合格生の体験談」にしろ、そこには参考にすべき要素がたくさんあることは、否定することができません。

 しかし、そういうものを参考にしようとしても、たとえば本を買った人が、それを読んで、まねしようとしてみても、なかなかできない。成功しない。

 「成功者」の本の帯には、「この方法をまねたら成功した!」などのような宣伝文句が書かれるのは、「私にもできるかもしれない」という希望を抱かせるのに効果的ですが、本当に同じように成功できる人は、たとえば本を購入した人の何%を占めるのか、出版社はそんな調査はしません。
 
 本の場合、「売った」後の責任は、出版社にも、著者にも、あまり問われないのが普通でしょう。

 「成功者」の本の中には、まじめに「読むだけで・・・・」と著者自身が宣言しているものもありますが、たとえ効果がなくても、著者や出版社に目くじら立てて苦情を述べる人は少ないでしょう。
 (参考書を出している出版社に、「これをしっかり身に付けてもテストでいい点をとれなかった」と苦情を訴える人はいるのでしょうか?)

 いい意味でなのか、そうでないのかは判然としませんが、「自己責任の原則」は、一般社会に広く浸透した考え方です。

 結局、「成功すること」ではなく、「自分も成功できるような気分になること」を、読者は求めているのかもしれません。
 それは、実際に成功者になるためには、成功者が書いた本を読むことではなく、そこに書かれた成功者にたどりつくまでの様々な苦労や努力を経なければならないこと、それを行ったからといって必ずしも成功者になれるとは限らないことがわかっているからでしょう。

 しかし、もし本当に「成功者」になることを願うのであれば、何を知っていく必要があるのでしょう。

 「学習失敗学」とは、「学習成功者」となるために、知っておく必要のある「失敗」がある、・・・その「失敗」のパターンを理解することで、成功者になるために必要なこともわかっていく、そういう知識や思考のプロセスを重視するものです。

 多くの人にとって、自分自身の「失敗」は目を向けたくない「忘れたいもの」なのかもしれません。
 
 低い点数だったテスト用紙などは、すぐにゴミ箱に捨ててしまいたい。
 そして、実際に、捨ててしまうか、しまいこんで二度と目にふれないようになってしまう。

 このような「大失敗」が、日常的に学校ではおこっています。

 「成功者」本の著者のように、自分の成功へのプロセス、そこで重視すべき原則を紹介するのもよいのですが、たとえば学校の教師は、そういうプロセスを伝えればそれでよい、という存在ではなく、子どもも、「読めばよい」という存在ではありません。

 実際に小さな意味でも成功者にさせなければならないし、成功者にならなければならない。

 子どもたち、大人たち、教師たちの「学習」に、どんな問題がひそんでおり、「学力向上」をはばんでいるものは何か、それを解明していければと考えています。
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「最終学歴」から「最新学習歴」へ
 社会の変化の激しい時代には、すぐ先の予測すら困難です。
 そのような時代を生き抜く力とは何でしょう。
 そういう力を身に付けるための「学習」とは何でしょうか。
 現在の学校教育で、そのような「学習」は保障されているでしょうか。

 新しい学習指導要領では、基礎的・基本的な知識・技能の習得と、これらを活用する思考力・判断力・表現力等を相互に関連させながらバランスよく伸ばしていくことが求められています。

 しかし、実は「観点別学習状況の評価」が導入され、それをもとにした「評定」がつけられるようになってから、かなりの時間がたっているわけですから、改訂の基本方針にあるような指導はすでに行われていなければおかしいものだったのです。

 特に「習得した知識・技能」を「活用」する力としての「思考力・判断力」「資料活用の技能・表現力」を育てる指導が学校でなされているのかというと、おそらく大部分の学校に「?」マークがつくのであり、それは「定期テスト問題」を調べてしまえば明らかになるはずです。

 入試問題を見ても、「表現力を問う」問題などは、採点の基準づくりの難しさや採点時間の制約などから、ほとんど見られないのが一般的でしょう。
 
 ですから「いい点数をとる」ための「効率」や「学習量対効果」を考えれば、基本的な知識・技能の習得ばかりに力が入れられてしまうのは避けられません。

 そこであえて、「学習」とは何か、という問いを学習者の立場として立てて考えてみるとどうでしょう。

 「最終学歴」ではなく、「最終学習歴」が重視される社会とは、どのような社会なのでしょう。
テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
やる気スイッチ
 学習意欲を持続させることは、子どもの指導をしている教師にとってはもちろん、学習者としての子ども、何かを学び始めようとした大人にとっても、けっこう難しい課題です。
 
 本やTVから影響を受けたり、だれかに励まされたりして、「やる気」のスイッチが入っても、その状態を維持し継続していくことについては、多くの人が失敗や挫折を感じているのではないでしょうか。

 「学習学」を提唱した本間正人は、週刊東洋経済(2009.1.17)に投稿した文章の中で、「人工衛星と同じで、学習意欲も静止軌道に乗るまではときどき燃料を噴かしてやる必要がある」と述べています。

 すべての人や子どもがその「燃料」の役割を「コーチ」「教師」「」にたのめるわけではありませんので、やはり「やる気」継続のための「自家発電装置」を何としても開発したいものです。
テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
「教育失敗学から教育創造学へ」の姉妹版ブログスタート!
 みなさんはじめまして。
 「教育失敗学から教育創造学へ」というブログの管理者をしております、kurazohといいます。
 
 本日、このブログの姉妹版、タイトルは「教育」が「学習」に変わっている、そんなブログを立ち上げました。

 あくまでも学習者からの視点を重視して、「生きる力」の育成について考えていきます。

 しばらくは、「教育失敗学」の記事から「学習」にかかわる内容の紹介などが多くなるかもしれませんが、「学習者」としての視点は、教師として、親として、一社会人としてももっていたいので、子どもだけでなく、大人にもどんな「学習」ができるのか、取りあげていきたいと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。
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