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藤田晋の成長学・生徒編15 促成栽培の教育
 第15回は「効率よりも場数が能力を決める」です。

 理論の理解と実戦の経験、それが組み合わされることで効果は最大になるのでしょうが、理想的には、実戦を経験しながら自ら理論を作り出していくことです・・・・何ていっても、中学生には「何のこと?」と思われるかもしれませんが・・・。

 小中学生が、「分からないこと」への耐性を失ってしまったのは、何でも「効率重視」というプレッシャーを与えてくる社会環境の影響でしょうか。

 苦労して得たものは手放しがたく、簡単に手に入れたものはそれを失うことに痛みを感じない・・・学校で身に付けるものというのは、そういうものではないのでしょうか。

 もし中学生の皆さんが、「野菜の促成栽培」のように育てられていると実感したら・・・学校や塾での「前倒し学習」のことですが・・・「自分は高く売れて満足だ」という結論に達するのでしょうか。

 皆さんの「市場価値」と、一昔前の「ど根性大根」・・・アスファルトの裂け目から生えている野菜がときどき報道されましたが・・・のようなものの価値と、どちらをどのように評価するのか・・・そういう人間観にもかかわってくる問題なのかもしれません。

 いつからでしょうか。

 子どもたちが、「テストに出そうなこと」に目を光らし、それをひたすら暗記するような姿を見るようになったのは・・・。

 人間は、これほど簡単に「誘導」されていくものかと、深々と実感されられるのが、教師という仕事の一面です。
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テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
藤田晋の成長学・生徒編14 スタート地点は「同じ」「平等」ではない
 第14回は「入社段階で既に差がついている」です。

 中学生にとって,「高校受験」というのは人生の中で大きな「節目」の一つでしょう。

 それを「中学受験」という形で,小学生のときにも経験する子どもも増えていますが。

 入学試験を突破して高校に入ったとき,「隠された順位」=「学校側しか知らない順位」というものが存在することは分かりますよね。

 高校によってかもしれませんが,入学時の順位と,その後の順位を比較・検証しているところがあるでしょう。そのデータから,どんなことが分かっているのでしょうか。

 学習についてだけですが,入試の得点とその後の得点,順位の推移は,だいたい相関関係にあるものでしょうか。

 もちろん「急上昇」「逆噴射」のような人もいるでしょうが。

 もしその相関が非常に一般的なものであるなら,「下位」で入学した人は,いつまでも「下位」のまま・・・ということは,入試得点や順位を知ることが,モチベーションの低下に結びつく人が少なからずいるということです。

 このような「差」は,サッカーの得点のように,そう簡単に逆転できると信じることができないか,物理的に?逆転が不可能であるものかもしれません。

 しかし,この「差」をしっかり認識して,それを「縮める」べく努力する姿勢が重要であることを藤田社長は示しています。

 「差」があるからこそ「縮める」「抜き去る」喜びが味わえる・・・そういう発想が持てることが大切だということです。

 以上のことは,「結果が重要である」企業社会では特に理解しやすい話なのでしょう。

 これが,教師がつくる学校社会だと,「過程が重要である」という理屈に走っていく傾向があります。

 そういう意味では,学校で働いている教師集団によって,「既に差がついている」ことを幸福に(あいるいは不幸に)感じていただく必要もあるでしょう。
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藤田晋の成長学・生徒編13 学校をどうデザインする?
 第13回は「起業に必要な資質などない」です。

 藤田社長の言葉は、これまでたとえば教師から「優秀だ」と言われたことがない人、クラスの中で、「自分は優れている」という実感をあまりもったことがない人には、勇気づけられるものかもしれません。
 

起業した知人の話を聞いたり、起業家の自伝などを読んだりすると、多くの人は若い頃から苦労していて、逆境から這い上がる強い反骨精神やハングリー精神を持ち合わせています。


 逆に、私は「逆境というものも経験したことがない」という、いわゆる「普通の生徒」「平均点人間」という自覚を高めてしまう言葉かもしれませんが・・・。
 ビリの近くは嫌だけと、まあ平均点近くならいいだろう・・・という「安心感」をベースに「勉強生活」を過ごしてしまう人が多いことが、「学力低迷」の最大の原因だと私は感じていますが、そこには「地盤沈下」のセオリーどおりだから、という意味もあります。

 みんなが手を抜けば、平均点は下がっても、校内「偏差値」は下がりません。
 ゆでがえるです。

 今日のニュースで、「集団主義」を貫き通している中国のある地域が紹介されていました。

 「北京への旅行」がそう簡単にはできない、という悩みは当然起こることであり、「格差のない理想社会」をめざす共産主義の弱点が強調された内容でした。最も重要なのは「禁欲」を貫徹できるかどうかでしょう。

 日本では、「起業で食べていく」ことはそう簡単にできそうもないし、そのアイデアもないので、みんなはじめは企業社会に入っていくわけですが、「起業精神」は企業内で育まれるものなのかというと、決してそうとは言い切れない面があると思います。

 どんな社会が理想なのか、どんな学習が必要なのか、それを学校の中で考えてみる、そういう習慣をつけることが大切だと思われます。

 もしあなたが学校を自由にデザインするとしたら・・・?

 カリキュラム(時間割や受ける教科等)を、どういじりますか?

 それは、何のためですか?
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藤田晋の成長学・生徒編12 ただの飾りには何の意味もない
 第12回は「採用面接では自分を飾るな」です。

 推薦入試では一般的に「面接」が実施されますが,合否に影響を与えるほどのものではない,という認識でいた方がよいでしょう。みんな普通にこなしてしまうからです。

 しかし残念ながら,「面接」があるところは受けたくない,と思う生徒がいるのも事実で,受験の中では大きな位置を占めるものであることも確かです。

 なぜ学校側にとっては時間と人をたくさん要するので「なくしたい」という声も多い制度が,ずっと続いているかというと,やはり「人は見た目が9割」という幻想なのか真実なのかよく分からないものが信じられているせいでしょう。

 生徒の側からすると,「面接」というのは,直接的な「自己PR」ができる機会であって,「やる気」「積極性」を伝える場であると指導し,送り出すのが進路指導に当たる教師の常識です。

 「どういう生徒を合格させたいか」を理解して,面接に望むのが普通の「心得」です。
 
 生活指導で苦労している学校は,「面接指導」にかなりの時間を要します。担任面接,学年主任面接,校長面接と,三段構えの学校もあるでしょう。

 たとえば中学校の現場では,「いかにきちんと自分を飾れるか」を面接指導の重点においているように思います。「ありのままの自分」では,いかにも誤解を招きやすい・・・。あるいは,マイナス要因にしかならないような気がする・・・・。

 いつもはしていない「礼儀正しい態度」とか,「正しい言葉遣い」などは,ときと場合によってはきちんと「飾れること」が重要な資質である,という見方も成り立つのです。

 さて,それはそれで頑張ればよいわけで,問題は「飾らない自分」をどうつくるか,といったことでしょう。生活指導や進路指導とは,本来そういう自分づくりをめざしているはずなのです。

 私は,面接試験というのは,礼儀正しさも大事ですが,何より評価したいのはその人の「コミュニケーション能力」であろうと考えています。同時に,「プレゼン能力」も問いたいところです。

 試験をする側としては,「飾る余裕を与えない」課題ほどその人の能力が測りやすいわけで,ちょっといじわるなようですが,あえて「困らせる質問」を投げかけるという技があることも念頭に入れておきたいところです。

 今までの「面接試験」を超えた,上記のようなものを想定した学習や生活ができる毎日が,最良の受験対策であることは言うまでもないことです。

 「一問一答式」の問題ができて満足しているようでは,たとえ希望の上級学校に進学できても,満足のいく自己成長は果たせないかもしれません。
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ジャンル:学校・教育
藤田晋の成長学・生徒編11 不満の根本原因に目を向ける
 第11回は「不満がある時の転職は失敗する」です。

 生徒にとっての「転職」って,「転校」のことでしょうか?

 ・・・違いますね。

 企業社会なら,会社に「戦力外通告」を受けて解雇される(契約を更新されない)場合を除けば,普通は「より高い給料がもらえる職場へ」「より自分の能力が発揮できる職場へ」という願いを実現するための手段が「転職」です。

 公立高校では,ときどき「転校」の措置が取られる場合がありますが,いじめとか人間関係の問題への対処という性格のものでしょう。

 藤田社長は,現職に対する「不満」の質を問題にしています。

 自分の環境への「不満」が,環境を変えれば解消される・・・そういう発想が最も危険なものであることはだれにでも分かることなのですが,当事者になると何も見えなくなる場合があります。

 変な例ですが,過酷な取調べを受けた容疑者が,やってないことを「やりました」と言ってしまうことと,何となく結びついてしまいます。

 さて,「勉強が得意にならないことへの不満」は,どのようにしたら解消されるのでしょう。

 塾に行っている生徒なら,塾を変える・・・・家庭教師を雇っている家庭なら,家庭教師を変える・・・・そういう選択肢は,もちろんあって当然なのですが,「それで解決する」という保障があるものではありません。

 「友だちとうまくいかないことへの不満」は,どうしたら解決するのでしょう。

 「友だちを替える」。

 そういう選択肢も,もちろん「あり」ですが,それによって一時期の「不満」は解消されても,根本的な問題は放置されることになってしまうかもしれません。

 大切なのは,「なぜ不満なのか」を冷静に分析することです。

 そして,その「不満」の最大の原因に,「ふたをしてきた自分」に気付くかどうか。

 自己成長の鍵はそこにあるわけです。
テーマ:学習
ジャンル:学校・教育
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